COLUMN
どうして救急医?
| 家永 慎一郎
もう30年以上も前のことである。高校生のころ、好きな女の子がいて、何か恰好いいことを言いたくて、将来どんなことをしたいか考えた。人の役に立つ仕事がしたいと思った。どういったことが人の役に立つか考えたとき、子供の頃から食べ物を残すと親から「アフリカやカンボジアではご飯が食べられない人が・・・」と良く言われたことを思い出した。
これは当時日本の国際緊急援助隊がカンボジアやエチオピアに派遣され、メディアでもあちこちで取り上げられていた影響も多分にあったんだろうと、今になって思う。
そのため、人の役に立つ=困っている人のために仕事をするという図式ができ、医師になってアフリカに行こうという思いが生まれ、それを好きだった女の子に伝えました。
結局何もかもうまくいきませんでしたが、医師になる志だけは残り、1浪したあとに長崎大学に入学できました。なぜ長崎を選んだかと言うと、アフリカやアジアと関連の強い熱帯医学研究所があったからです。しかし入学後は一般的な大学生として、昼に起床し、午後は友達と遊び、さらに意味もなく夜更かしをするという怠惰な生活を満喫していました。
どうにか医師になった後も出来が悪く、研修医時代は当然のように仕事ができませんでした。医師の仕事はもう無理だと諦めたのに、あまりの多忙さにそれ以上は思考が進まず、どうにか医業を継続する毎日でした。
2年目の終わりの日に「クビになるか、救急をするか選べ」と言われ、まったくできる自信もない救急の道を選ぶことになりました。
その後は徐々に地域から必要とされていることや、やりがいなどを感じることができるようになり、どうにか現在に至ります。できの悪い自分が、患者さんを含め多くの人たちのおかげでここまで来れたことに感謝しながら、日々の診療にあたっています。
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特任准教授
家永 慎一郎IENAGA SHINICHIRO
専門医・指導医
日本救急医学会救急科専門医
専門領域・得意分野
救急一般/災害医療(DMAT)